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ちえ 合理的とは

発酵の記録

本日は ちえに ついてです。
ちえ は二つの漢字で書かれます。
ひとつは 私たちが日常的に使う 知恵 ですね
知識といってもよいでしょう。人間は知性を得て人間足りうる存在となりました。
そして今回のお話のテーマでもあります。
智慧 です。

智慧はただ賢いということ、多くの知識をもっているという事と少し違います。合理的、まさにその知識の使い方が理にかなっていることです。

知識というものは私たちの生活を豊かにするものでなければいけません。仏教では苦しみは確実にあるがそれを滅することは可能であり、またそれを可能にする道を説きます。それを助けるのが本来知識でなければいけないのですが、知識を重視するあまりに道を間違うことは多々あります。

高学歴の政治家でもその知識の使い方を間違えば道を誤ります。またその知識が邪魔をして居丈高になったり人の話を聞くことが出来なくなることもあります。得た知識は正しく使うことが出来てこそ初めて意味をなすのです。

合理的とは何をもって合理的というのでしょうか?経済の仕組みだけをみてこれが得だ、これは損だと決めつけて自分たちの心や気持ちは置き去りにすることは本当に合理的でしょうか?

私は誰かに対して思いを伝えたいと思って書く手紙は必ず直筆です。宛名も直筆で書きます。しかしそれはパソコンでタックシール印刷が出来ないということではありません。状況に応じて使い分けています。大人数に連絡をしなければならない時は本当に便利ですし、メールでもいい。今やこのような事務処理を全部人力でやる意味はないとも思っています。いまだにFAXを使っている意味が正直理解できないくらいです。

しかし大事な手紙は直筆です。それは自分自身がそのような手紙をいただいたときに本当に嬉しくあり、またそれに心を動かされるからです。

知識はいわば道具です。道具は正しく使ってこそ初めて意味をなします。他の人のことを自身と同じように考えてみる。そこからスタートしてみる。

この人は何を考えているのかなと想像をしてみる。言葉を発する前に行動する前に少し立ち止まってみる。そこから出てくる言葉や行動が人間が本来持つ智慧からくるものでしょう。

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