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お寺と人 すべてはここから始まった

発酵の記録

私の活動の原点はやはり2015年に挑戦したクラウドファンディングです。

お寺の借景を守るために何が出来るかと考えた結果、徐々に広がり始めていたクラウドファンディングに挑戦をしました。このアイディアを教えてくれたのは ことぶら の田中さんでした。

田中さんは私が副住職として活動を始めたころに、参加させていただいた朝活での座禅会で知り合いました。その頃からたぶん ことぶらを始められたのだと思いますが、今や京都のガイドツアー、イベントでは有名な人気の会社です。
何もしなければ何も起きません。しかもクラウドファンディングは成功すると達成金額に対してマージンが発生しますが、達成にならないと支払いは発生せずリスクはほとんどありません。
あるとしたら少し恥ずかしいくらいです。それならやらない手はないと思い挑戦をしました。

まず、お寺の借景を知ってもらうのにはどのようにしたら良いのだろうかと考えました。
借景を感じる最適な見せかたはなんだろう?そう考えた時に思いついたのがライトアップでした。
この頃の寺院のライトアップといえば 派手に人口的に照らす というイメージでした。そこに疑問を感じていた私はこの夜にしか見ることが出来ないものを作ろうと考えました。
参考にしたのは茶事の夜咄です。夜咄では必要最小限の光、あかりしかありません。火のあかりと月のあかりそれだけです。昼のように蛍光灯のようにはっきりと明るくまわりのものが見えません。しかし見えないことが逆に私たちにいろいろなものを見せてくれます。感覚が鋭敏になり昼間は感じることがなかった風の音、自然の音、虫の声、視覚だけではなく全身の感覚でそれを感じることができます。また谷崎潤一郎の陰翳礼讃の世界を参考にしました。陰翳礼讃は

まだ電灯がなかった時代の今日と違った日本感覚、生活と自然とが一体化し、真に風の骨髄を知っていた日本人芸術的な感性について論じたもの。

であり、まさに私が目指した枯山水の世界でした。明るすぎる、見えすぎることが逆に風雅を壊す。
漆器などもそうですね、私は漆器をこの年になって買い求めるようになりましたが私たちの現代のあかりのある生活のなかでは暮らしの中での漆器との提案、アプローチが変わってきました。
時代とともにあり方を変えて来ています。(漆器の話はまた別でしたいと思います)
この本は自身の生活がどうありたいかを考える良いきっかけになりました。ご興味ある方は是非一読を

それを表現してくれるあかりのデザイナーをまずは探さないといけません。お寺のHPデザインをお願いしている方に相談し数人のライトアップデザイナーをピックアップしその中から自身が好きな人を選びました。その方が 焔光景デザインの原田武敏 さんでした。

原田さんは埼玉でひとりで起業し関東方面を中心に活動をされています。調べてみると大阪出身の方で同志社大学の卒業生でした。このことにもご縁を感じ、早速お会いしたいとラブコールを送りました。ちょうどその時、旧古川庭園のバラのライトアップが開催中であったので東京まで見学と実際にお会いしてお話しすることが出来ました。

お話をして意気投合。クラウドファンディングに挑戦することを決心しました。

そこから初めてのことだらけです。クラウドファンディングを掲載する会社はREDYFORを選びました。申し込みをして自身の思いのたけをぶつけていきます。そこはやはりプロ、初めに提出した草稿は訂正が入りほとんど原型をとどめていませんでした。それから訂正、提出を繰り返しなんとか形が出来上がり、いざスタート。クラウドファンディングは最初が肝心です。最初の一週間で決まります。常にSNSで発信してください。と言われました。いろいろな人の協力もあり幸先の良いスタートを切ることが出来ました。なんとか期限内に目標金額を達成。無事開催へと漕ぎつけました。

この時の挑戦があって今があります。この時に知り合った人たち。またこの時の経験。これらが私を成長させてくれました。その中で感じたのはお寺は人があって初めて 真に動き出すということでした。京都には古いお寺がたくさんあります。私が関わらせていただいているこのお寺も歴史は古いです。ただその伝統や歴史を私は今ちゃんと活かせているのだろうか、枯山水のお庭だってそうです。借景を守る以前に借景の魅力、お寺の魅力をちゃんと発信できているのだろうかと考え直すきっかけをこの時のクラウドファンディングの挑戦で気づかされました。

今の現状を正しく受け止めて泣き言を言うのではなくて、今の自分に何が出来るのか?全力で考え抜いてそして行動する これが私のすべきことであり私が出来ることです。

「おてらとひと」という名前で私の活動ははじまり、今もその途中です。前回に書いた「そうだ京都いこう」でなぜ地図にのせる必要があったのか その答えはここにあります。せっかく預からせていただいているお寺そして関わることが出来ているお寺を 私たちがちゃんと後世まで伝え残していくためにまず知ってもらう必要があるからです。知ってもらう、そこからスタートです。今はいかに間違えず正しい方向を進んでいるのか常に自己点検を忘れないように気をつけなければいけません。

こちらはイベント終了後、作成した冊子です。その中で原田さんにいただいた言葉がすべてを表しているように思います。

「光」と「かげ」は不可分でどちらか一方では成り立ちません。分けられないものを無理に分けようとすると、均衡は崩れ、大切なものは何処かへ消えてしまいます。
禅の世界観とは、余計なものをそぎ落とした先に、無限の広がりを見せることだと思います。

「見せないことによってみえてくるもの 見せることによって見えなくなるもの」
かげをかげのままそっと添えることで、光が光でいられるのです

「おかげさま」という言葉をこれほど実感したことはありません。相手のことを考え、思いやり、歩幅を合わせ寄り添う。このプロジェクトは特定の誰かの功労ではなく、「縁」を持ったすべての人のおかげで円成しました。私自身も誰かの「おかげ」になれたことを大変嬉しく思っています。

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