曝涼とは
毎年、八月の十五日と十六日に曝涼として原在中の観音三十三身図を公開しています。曝涼とは夏のカラッと晴れた天気の日に軸物を虫干しすることを言います。当寺には江戸後期の画家である原在中のこちらの観音図が残っており、こちらをこの機会に皆様にご覧いただいております。
原在中について
原在中は江戸後期の画家です。同時代の著名な画家に丸山応挙などがおります。
原 在中(はら ざいちゅう、寛延3年(1750年) – 天保8年11月15日(1837年12月12日))は、江戸時代後期の絵師。名は致遠、字は子重。在中は号で、別号は臥遊。原派の祖。
師兄
京都出身。先祖は若狭国小浜出身で、生家は醸造業を営んでいたが、在中が絵師となったことで、原家は絵を家業とするようになった。師は石田幽汀[1]、あるいは円山応挙[2]とも、両者を折衷して初め幽汀に学び、一時兄弟子の応挙についたとする説もある。『古画備考』によると、応挙没後、在中は自分は応挙の弟子ではないと し、これに腹をたてた岸駒が応挙の子・円山応瑞のところに行って門人帳を調べると、在中の自筆で入門と名簿に書いてあったという。実際、大乗寺に残る円山派の門人名簿には、「原在中」や「岸駒」の名が記されている[3]。
反面、在中の画風に応挙の影響は強くは認められず、応挙一門が総力をあげた2度にわたる大乗寺障壁画制作にも在中は参加していない。今日にも多くの大作を残す在中が応挙の弟子ならば、当然師弟関係を示す資料がもっと多く見出せるはずで、応挙十哲の一人にも数えられたであろうことを踏まえると、どちらとも断じ難い。また、仏画を山本探淵に学んだという。
画歴
在中26歳に当たる安永4年(1775年)版『平安人物誌』には、応挙、伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村、望月玉仙、呉春、曾我蕭白などに伍して載せられており、当時すでに一家として認められていた。寛政2年(1790年)の禁裏造営にも、狩野派や土佐派の絵師や、応挙、源琦、長沢芦雪、岸駒、田中訥言らと共に障壁画制作に参加している。文化10年(1813年)頃に出版された『平安画工視相撲』では、一方の大関・岸駒に続いて関脇に記されており、当時の京都画壇の中心的存在だったことが分かる。文化・文政期には、大寺社の障壁画を多く揮毫しており、それらの多くは中国や日本の古画に倣っている。晩年の作品も残っているが、それらは細密な筆致と明麗な彩色がなされており、老いても筆力の渋滞や衰えは感じさせない。天保8年(1837年)死去。墓所は中京区寺町通三条上ルの天性寺。
画風
江戸後期の多くの絵師がそうであるように、寺々を訪ねて元、明の古画や、狩野元信や永徳らの名画を独学し、また土佐派の細密な色彩や同時代の応挙の写実的表現を取り入れ、原派と呼ばれる一派を形成した。長寿だったこともあって作品がよく残り、画域も広い。山水、人物、花鳥、走獣などを、漢画と大和絵など多彩な画法で描きこなした。仏画、神像、肖像、絵馬なども巧みで、障壁画の大作でも画面を破綻なくまとめている。また、有職故実を研究し、心学者の手島堵庵と交流したという。
長男・原在正、次男・原在明、三男・原在善、四男・原在親(梅戸在親)。長男・在正が勘当されたため次男の在明が家督を継ぎ、原派は原在照、原在泉と続く。他の弟子に高倉在考など。
当時にも数点、在中の画が残されております。また在中の子である原在明の酬恩庵庭園図が残っております。こちらは江戸時代に作庭された方丈枯山水庭園を描いたものです。方丈は1650年に加賀の前田利常公により寄進をされたものでその際に作庭をされたと言われています。作庭をしたのは石川丈山、松花堂昭乗、佐川田喜六正俊の三名です。
三十三の応身
こちらの観音図は中心に一幅そして左右に十一幅ずつあり合わせて三十三幅あります。観音菩薩は三十三の姿に身を変えて衆生を救済すると言われています。西国三十三か所巡りが三十三の理由はここにあります。
お釈迦様について対機説法という言葉があります。機に対して つまり それぞれの場面、相手によって説法をかえていくという意味です。その人の知識や興味、また年齢や性別など 個人それぞれ違いがありまた事情も違います。
自身が悩み、何かアドバイスや後ろ押しが欲しい人もおれば自身の中でもう決まっているけれどもどりあえずは自分の話を聞いてほしいという人もおります。
話を聞いてほしいという人には素直に耳を傾ける。要らぬアドバイスは不要です。自身の中がいっぱいの状態で説法をつめこんだところでパンクしてしまいますし、逆にストレスもたまるでしょう。いわゆるおせっかいになるということです。
観世音、観自在
ここで重要になってくるのが観音様の力ですが、それは 「観る」力だと言えます。観世音は世の音つまり世間の声、私たちの声です。私たちの声を観る より注意ぶかく聞いているという意味です。また観自在 は自在に観る 聞くことが出来るという意味になります。
法華経、いわゆる観音経では 観世音菩薩 として
般若心経では 観自在菩薩 として 登場されますね
観音経では 念彼観音力 観音様の功徳を主に説いているのに対して
般若心経では 空 について 説いています 般若心経で 観自在菩薩 というのは
とても納得がいきますね 空 自在に 観ることができている
念彼観音力
観音経では 「念彼観音力」 彼の観音さまの名を念ずれば というフレーズとともに観音様の功徳を紹介する一節が続きます。
ここでおやっと疑問に感じる人も多いと思います。臨済宗は禅宗、禅宗は自力ということを言います。他力とは違い自身の力で悟りを開いていく宗派です。
それではこちらで言う 「念彼観音力」は何をあらわしているのでしょうか?
禅では 「衆生本来仏なり」と言います。これは仏さんというのは遠くある存在ではなく私たちの心、本来の姿が仏だということです。悟りとはこの自身の仏心に気づく事ともいえます。
人間、土壇場になった時こそ自身の力の見せどころです。
「念彼観音力」は自身の中に菩薩の心を思い起こすものです。
そもそも菩薩とは仏ではありません。願心をもつ修行中の仏弟子の一人です。私たちにはその菩薩の心が本来備わっています。そしてそれは周りの人たちも同じです。
土壇場の場面で、自身の力を信じその窮状を突破すると信じることが大切です。また周りの人もそのようなあなたを見て手を差し伸べてくれるはずです。私たちは多様です、だからこそ多様な問題にも立ち向かえるのです。
世尊偈
念彼観音力が出てくるのは 妙法蓮華経不門品 の中の世尊偈というところです。
こちらは 先に書かれた経文の部分 功徳を偈のかたちであらためて説いています。こちらに和訳を他サイトから拝借しています。冒頭部分を見ていきましょう。ここから念彼観音力の真意が読み取れるように思います。
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世尊妙相具我今重問彼仏子何因縁名為観世音仏さまは優れた姿をしておられるが、私は今重ねてお尋ねしたい、仏さまはどういう理由で、観世音と名付けたのか。
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具足妙相尊偈答無盡意汝聴観音行善応諸方所優れた姿の仏さまは、偈の形で無尽意菩薩に答えられた。観世音の修行がどんなに優れているかを聞きなさい。
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弘誓深如海歴劫不思議侍多千億仏発大清浄願誓いは海のように深く、どれ程時間をかけても人間の知恵は及ばない。千億の仏たちと伴に、大いなる清らかな願いを起こした。
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我為汝略説聞名及見身心念不空過能滅諸有苦私はあなたに説明しよう。その名を聞きその姿を見て、心に念じ空しく過ごすことがなければ、あらゆる苦しみは消滅する。
マーカーの部分を見ていただくと、願心の深さそして 自身の菩薩の心を信じ切ることの大切さを説いています。そしてこの後に 念彼観音力が13回出てきます。13の状況をその功徳で乗り越える様子が描かれています。
十三の念彼観音力
1、燃えさかる火の穴に落とされても、観音様のお力を念じれば、火の穴はたちまち池に変わる。
2、大海を漂流して龍・鬼に襲われても、観音様のお力を念じれば、波に溺れることはない。
3、悪人に山の頂から落とされても、観音様のお力を念じれば、太陽のように空中にとどまる。
4、悪人に追われて山から落ちても、観音様のお力を念じれば、傷一つ負わない。
5、強盗たちに殺されそうになっても、観音様のお力を念じれば、彼らの心は優しくなる。
6、刑場で処刑されそうになっても、観音様のお力を念じれば、刀はばらばらに折れてしまう。
7、鎖につながれても、観音様のお力を念じれば、たちまち鎖は解けて自由になる。
8、呪いのため命が危険にあっても、観音様のお力を念じれば、その人に呪いが戻っていく。
9、悪鬼毒龍(あっきどくりゅう)の怪物に出会っても、観音様のお力を念じれば、怪物は毒を与えないようになる。
10、猛獣に囲まれて殺されそうになっても、観音様のお力を念じれば、猛獣は去ってしまう。
11、マムシやサソリが毒を吐いても、観音様のお力を念じれば、たちまちいなくなってしまう。
12、稲妻が光り大雨が降っても、観音様のお力を念じれば、それらはたちまち消散してしまう。
13、戦場で死の危険にさらされても、観音様のお力を念じれば、敵たちは逃げ去ってしまう。
むすび
そして十三のたとえを紹介したのちにこう経文を結びます。
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妙音観世音梵音海潮音勝彼世間音是故須常念観世音は優れた音であり、梵天の音であり、海の音であり、世界のあらゆる音に勝る、このため常に念ぜよ。
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念念勿生疑観世音浄聖於苦悩死厄能為作依怙一念に念じて疑ってはならない、観世音は浄く聖なり、死や厄に苦悩するところに、よくその拠り所となる。
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具一切功徳慈眼視衆生福聚海無量是故応頂礼一切の功徳を具え、慈しみ目をもって衆生を視る、福の海は無量であり、これ故礼拝すべきである。
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爾時持地菩薩即従座起前白仏言その時、持地菩薩はすぐに座を起ち、前に進みて仏さまに慎んで申し上げた。
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世尊若有衆生聞是観世音菩薩品自在之業普門示現神通力者当知是人功徳不少仏さま、もし衆生が、この観世音の自在の業や、普門示現の神通力を聞けば、その人の功徳は少ないことをまさに知るべきです。
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仏説是普門品時衆中八萬四千衆生皆発無等等阿耨多羅三藐三菩提心仏さまがこの普門品を説かれた時、八万四千の衆生は皆、これまでにない真実の智慧を悟った
こちらから観世音、菩薩の心つまり仏心を信ずることが何よりの功徳であるとわかります。衆生本来仏なり、水と氷のごとくにて、例えば水の中にいて渇を叫ぶが如くなり
私たち自身が人であり仏である
私たちが自身の仏心、ここでは菩薩の心 これに気づいていないだけであり、これに気づいた 多くの衆生 つまり私たちは観音経を知ることで悟るのだ と説かれています。
観音経は自分の力を信じることである!
以上のことから私は観音経は 自分の力を信じることである、それと同様に周りの人たちを信じることであり、この世の中をあきらめない 態度であると考えています。
まさしく 四弘誓願文 ですね。
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