今回も鬼滅の刃について少し。
鬼に一家を惨殺された丹次郎、唯一鬼として残った妹 禰󠄀豆子を人間をもどす方法を求め、鬼を追う為、剣術の修行に励み鬼殺隊に入隊します。ここからストーリは始まっていくのですが、このお話は単なる勧善懲悪ではないところが実に日本的であるように思います。
ここに出てくる鬼は元は人間であり、それも人間として生きていた時に深い苦しみや悲しみに苦しんできた人たちでした。むくわれない人生、そこから脱する為に鬼の道を選ばざるを得なかった人たちです。鬼は自身の生命と肉体を維持するために人を喰らいます。また鬼の首領である無惨は鬼たちを逆らうことが出来ないように呪いと恐怖で支配しています。
前回にも書きましたように アカザは 煉獄杏寿郎 を鬼にならないかと誘います。
お前ほどの力の持ち主が鬼になれば何でも思い通りになれる、そう諭します。
実はアカザ自身が 凄惨な過去 を経験し鬼になったという経緯がありました。
裕福と言い難い環境に生まれたアカザ でしたがある時、生涯の師匠となる人と出会い修練に励みついには道場を任されるほどになります。また師匠の愛娘とも結ばれ自身の力で幸せをつかみ取りました。自分を救ってくれた二人を自分は絶対命を懸けても守るそう誓いました。しかし道場を継ぐことを妬んだ隣の道場のものに師匠とその愛娘が殺されてしまいます。アカザは自身の誓いを守れなかったことに絶望しました。
怒りで我を忘れたアカザはその者たちを惨殺。そこへ無惨が現れ鬼になることを決めたのです。
鬼滅の刃で出てくる鬼たちは全員何かしら悲しい過去を背負っています。人間として生きることが難しくなった人たちです。鬼を滅するということは、その鬼たちを成仏させてあげることのようにも思います。死ぬことが出来ない鬼たち、一見自由になれたようにみえて安心とは程遠い恐怖にとらわれたままです。滅され煙となり空に消えていくその顔がどこかしら安堵しているように見えます。
丹次郎は家族の死を憎みながらもその死を受け入れる強さを持っています。この世から鬼(人の心の闇)を滅することを自身の使命として煉獄さんの死を乗り越えてさら強くなろうとします。
鬼を滅した後に鬼に対して合掌を忘れない。この部分が鬼滅の刃で私が一番見てほしいところです。
そのような観点からまた見直してみると面白いかと思います。
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