スポンサーリンク

煉獄さん 映画「無限列車編」から見える人間の偉大さ

発酵の記録

今日は久しぶりに鬼滅の刃を意識した日でした。

まずひとつめはお寺で煉獄さんを意識することに。
昨年からコスプレイベントを運営されているアコスタさんのアコロケの撮影場所としてお寺を開放しています。お寺ということで皆さん和の雰囲気を求めてこられます。刀剣乱舞のコスプレの方が多いのですが、本日のお客さんはなんと鬼滅の刃。しかも煉獄杏寿郎!
キター 昨年、netflixで一気見してそのまま漫画を大人買い。そのままのテンションで映画に行った私としては煉獄さんはとても嬉しかったです。

二つ目はメルカリで購入した最終巻が今日届き、今から読むのが楽しみでそのせいです。

こんなにも鬼滅の刃を好きな私ですが、実は最初避けていました。よくある知らない勝手な先入観でした。鬼を滅するということでどうしても戦いのシーンも出てきます。その中で人が殺される。当然、血を見る惨殺シーンもあるわけです。過激な描写に子供の教育上良くないという意見も聞かれます。

しかし実際、見てみると作者の描きたいものは、その部分ではありませんでした。

なぜ人は鬼になってしまったのか?本当になりたかったのか?人は何のために生きるのか?
人はひとりで生きていけるのか?

そのような部分にあるように思います。

映画「鬼滅の刃 無限列車編」は日本アニメの興行収入を塗り替える大ヒットとなりました。
映画で描かれた煉獄杏寿郎の生きざまに涙した人は多かったと思います。

杏寿郎は亡くなった母に言われた言葉を大切にしていました。
「人より丈夫に生まれてきたのは弱い人を助けるため、あなたはその能力を人の為に使いなさい」と。列車の中でも丹次郎たち後輩を自分の失態で窮地に陥ったことに「穴があったらはいりたい」と恥るほど責任感の強い人です。柱としてのその責任感の強さに丹次郎たちは感化され大きく成長します。打算的でない、損得以外の 何かで 生きている人。そういう人に人は魅力を感じるのです。

映画の最期、上弦の鬼である あかざ と一騎打ちとなります。
戦いの中 あかざは 杏寿郎の強さを認め、鬼にならないか と誘います。
鬼は老いることはありません。また傷を負ってもすぐ元通りになることが出来ます。
杏寿郎ほどの強さの持ち主だと あかざかそれ以上になれる。
しかし、杏寿郎は頑なに あかざ の誘いを断ります。それは杏寿郎が母親との約束を守るためであり、そして何より人として生きることの素晴らしさを何よりも知っているからです。
人は間違う、人は老いる、けれどもそんな弱さをお互い知っているから人は助け合い生きていける。そのことに素晴らしさを見出し、最後まで人としての矜持を捨てませんでした。

その姿に 丹次郎はさらに強くなりたいと願い、伊之助は仲間の為に命をかける尊さを知り、禅逸は逃げない勇気を知ります。杏寿郎の死は無駄ではなくその意志は丹次郎たちに引き継がれていきます。人は人からもらった愛や優しさを自分たちの次の誰かに与えていかなければいけません。

人はひとりではちっぼけでもこのような無数の人のつながりが私たちの世の中を大きく発展させて来たのだと思います。ひとりでは考えられない力を多くの人とつながることにより生み出せるのが人だと思います。そのことをこの映画は教えてくれました。

こちらの宮台先生の解説は必見です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました