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過去ブログから 生きてりゃ

発酵の記録

震災から昨日で10年、当時私は結婚したばかりで滋賀の石山のパン屋さんにいました。パンを買って車に戻った時に地震がおこりました。一瞬何が起こったかわからず、テレビを確認しても全く要領を得ない。帰ってから落ち着いて確認してみて初めて震災のことを知ったのです。

少し私のことを書くと九年前、震災のあった年に病をわずらった。原因不明で一時は余命半年と言われた。何が原因なのかよくわからないがストレスだったらしい。震災があり多くの人がなくなった。家族を失った人家を失った人。そして極めつけは原発の問題、この問題は今もなお続いている。震災後、私たちはあまりのことに過度の自粛、自分たちが何をしたらよいのかえさえわからなかった。国の動きを見ていてもなにも進まない、そんな状況が私自身のまわりの環境とかぶりとても絶望した。なにも変わらないし、なによりもそれを全力で止めているのが自分たちということに絶望した。

今も少し完全回復にはいたっていないが、その時の家族の支えがあって今もこうして生きている。その時に学んだことそれは時間は限られているということ。一日24時間が365日あってそれで1年、死ぬまであと何年?何かをなしたのか?おそい、おそい。こんなのでは何もなすことは出来ない。このことが今の自分につながっている。生きられいてるんだからめいっぱい自分のことに時間を使おう、自分の大切な家族に時間を使おうと考えるようになった。

恥なんかどうでもいい、トライすること以外なにも生み出せない。

今回、ご紹介するのは箕輪厚介氏の「死ぬこと以外かすり傷」最近ではスッキリのコメンテータなどもされているのでご存じの方もおられると思います。本の中でこう書かれています。「今やれよ」本当にそう。思ったときにやる、すごく単純だけどこれほど的を得たことはない。コロナ禍の今、やれることあるはずです。

今になったから話せることがあります。それぞれが自身の中に葛藤をもち悩んでいます。私に何が出来るか

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