禅宗には禅語というものがあります。禅のことばにふれてみましょう。禅の言葉は気づきに溢れています。物事の理、真理、感謝、感受性を豊かにすることは私たちの毎日の生活に潤いを与えることです。日本に生きて、四季を感じて暮らす。今日も人と出会い明日も人と出会う。私たちの目の前はあらゆる可能性に溢れています。禅の言葉を学び人生を豊かに。
曝涼 観音様の応身
毎年、八月十五日、十六日は曝涼。原在中の観音三十三身図を虫干しをかねて公開をします。観世音菩薩が三十三の姿に応身して私たち衆生を救済してくれます。仏教の救済とは?自力をうたう禅宗が考える「念彼観音力」とは何か?今回の曝涼のとともに解説していきます。
むじょうじばく-無縄自縛
こちらではお寺の副住職が禅語の解説をしております。今回は無縄自縛。私たちはいつも何かに縛られていないでしょうか?私たちを縛るのはいったい誰なのか?そしてそこから抜け出す方法は?解説とともにどのように毎日を過ごすべきか考えます。
がほうじん-我逢人
こちらではお寺の副住職が禅語の解説をしております。今回はがほうじん-我逢人。緊急事態宣言下で自粛をしているからこそわかる、人との出会いの大切さ。コロナ後の世界をどう活かせるか!?
せいちょうむきぶつ-聖朝無棄物
こちらではお寺の副住職が禅語の解説をしております。今回はせいちょうむきぶつ-聖朝無棄物。なんでもかんでもポイポイ捨てる。それはモノでも人でもです。人にやさしい国のカタチとは?そして今私たちが出来ることは何か考えます。
みずをきくすればつきてにあり-掬水月在-
こちらではお寺の副住職が禅語の解説をしております。今回はみずをきくすればつきてにあり-掬水月在-。ほとけさんはどこにおられるだろうか?ありがたい教えはどこにあるだろうか?仏教ではどのように考えるか、禅語の解説とともに私たちの毎日の在り方を考えます。
はくうんおのずからきょらいす-白雲自去-
こちらではお寺の副住職が禅語の解説をしております。今回は はくうんおのずからきょらいす-白雲自去-。どっしりとしていればふわふわした心なんか問題ない。それすらも楽しんでいける。禅語の解説とともに毎日の心のもちようはどうあるべきかを考えます。
やなぎはみどり はなはくれない-柳緑花紅
こちらではお寺の副住職が禅語の解説をしております。今回は 柳は緑花は紅 真面目。あるがままってどういうこと?あるがままの姿を先入観なく見ることが出来たら私たちは幸せになれるの?禅語の解説とともに私たちが毎日生きていく上での智慧を考えます。
たいどうちょうあんをとおる-大道透長安
こちらではお寺の副住職が禅語の解説をしております。今回は たいどうちょうあんをとおる-大道長安を透る。人生の肝要な部分は何気ない毎日にある?毎日がそのままキャリアプランになるの?禅語の解説とともに私たちが毎日心がけるべきことを考えます。