嫁の出産に際して、次男の送迎を行っています。その時に二人でspotifyの日本昔話を聞いています。正確に言うと「おばあさんの日本むかしばなし」です。いくつか昔話を聞くことができるものをさがしたのですが、話の構成、長さ、語りてなど総合して一番良かったのでこちらを聞いています。
昔話は人間の性やどうしよもなさを 教訓として教えてくれます。そのようなこともあってかわかりやすい悪者がいて勧善懲悪の形をとるものが多かったですが、最近の考え方でしょうか、少しその部分が柔和になっているように思います。それだけならいいのですが、もうすでに話すら変わっていると思われるものも多いです。その点、こちらはオリジナルに忠実でむしろ話として整合性がないところもあります。事実は小説よりも奇なりでしょうか。たぶん本当にそんな話だったんだろうと思います。そのようなストレートなところが私は良いと思いました。
さて、このひと月の間、かなりのお話を聞いてきました。お話によって息子もよく理解できるものあまりわからないものがあるようです。そんな彼ですが昨日聞いた鬼のお話が今まで一番気に入ったようです。
あるところに、奥さんも息子さんもなくしたおじいさんがいました。おじいさんは誰と付き合うわけでもなく毎日のお墓参りだけを日課にして生きていました。そんな生活もとうとう疲れてしまってもう死にたいと思っていました。ある年の節分の日、昔、息子と豆まきをしたことを思い出し、蔵から鬼の面と豆を取り出してきました。 やけくそになって「鬼は内、福は外」とあべこべなことを言いながらおじいさんは豆をまきました。豆まきが終わり寝ようとした夜分のことです。「おばんです」とおじいさんの家を誰かが訪ねてきました。こんな夜分に誰かと扉をあけてみると、そこにいたのは鬼でした。肝をつぶしたおじいさんですが、おじいさんに鬼は言います。「今日はどこも鬼は外で居場所がないのにただひとりじいさんだけが鬼は内と言ってくれた、中へあがらせてくれ」おじいさんはおどろきながらも中へ入れ火にあててやりました。そうしていると次第に他の鬼たちも集まってきました。鬼はおじいさんに何か欲しいものがあるか?と尋ねるとおじいさんは「みんなで甘酒がのみたい」といいました。鬼たちはすぐに何かをとりに出ていくと戻ってきたときにはお酒やごちそう、お金までもたくさん持ってきました。そこからは歌えや飲めやの大宴会。誰一人訪れることのなかったおじいさんの家は鬼たちの楽しそうな声であふれかえりました。あくる日目覚めると鬼たちはごちそうやお金をたくさん置いて帰りました。鬼たちが残していったお金でおじいさんは奥さんと息子の墓を立派なものに立て直しました。そしてふたりにこう言いました。「わしはもう少し生きることにする、来年も鬼たちが楽しみにまっておるからな」と。
こんなお話でした。鬼がおばんです、と尋ねてきたときの息子の顔はひきつっていました。息子は八幡さんの節分祭などで鬼にはいい思い出がありません。ただこのお話を聞いてすこし考え方が変わったようです。鬼さんとも仲良くなれるんだ、そう思ったのかもしれません。
日本の昔話に出てくる鬼や妖怪はとても人間臭いところがあります。憎めないそういうところがありそれが日本の良さなのかなと思っています。
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