好きな哲学の話、今回はニーチェ。
私はよくnewspicksのホリエワンを聞いています。今回のゲストはバカの壁で知られる養老孟子さん。その中でのお話です。
養老孟子さんは今も自身で電車に乗られて移動されているらしく、先日 東京駅を何気にぶらっとしていたら駅員に止められたという話されていました。
どうやら不審な人と思われたらしい。
今の時代、無目的にいるということが許されない。何か理由がないとおかしいだろと言われる。しかしそれこそ私は少しおかしいように思う。この違和感は小さいころに良く感じたことがあった。
学生時代、何かをやらかしてしまった時に先生に「なんでこんなことしたの?」と詰問されるが当の本人には全く理由が見つからない、ただそうしたかっただけ なのに そう答えることは許されず。
そもそも人の生に存在意義はあるだろうか?と問うてみる。いろいろな答えが返ってくるだろう。しかしそのほとんどが偽善かもしれない。人の生の価値は二次的なもので語られるべきでなくそこにその人自身が楽しいと思える。それこそがその人の生の存在意義でいいと思う。
こんな私の小さなころのモヤモヤを解消してくれたのがニーチェだった。
哲学は有益か?禅は有益か?
何かメリットがあるからそれを選択するのではなくてそこを選択するということに信念があり、それこそが自身の生の肯定のように思う。
永井均氏の「これがニーチェだ」を読んでいます。読んでいるところどころで衝撃が走る。しかしそれらは何か価値があるわけでなく、これからの生活に役に立つわけでもない。しかしそれは徹頭徹尾、真理で私自身が問いをたて聞きたかったことでもある。
本書から抜粋
ニーチェは世の中の、とりわけそれをよくするために役に立たない。どんな意味でも役に立たない。だから、そこにはいかなる世の中的な価値もない。中略 いやだからこそ、ニーチェはすばらしい。
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